昭和41年12月18日 朝の御理解
常平生しっかり信心の稽古をさして頂いて、まさかの時又は自分では思うに任せず手が届かない。例えばそう言う様な時に、慌てんで済む驚かんで済む信心を身に付けておきたいと思うですね。まさかの時に慌てんで済む、また驚かんで済む為にどうしても常日頃、平生の信心が大事です。それは突発的な事が起きると言った様な時も、さることですけれども、例えばもう忙しゅうて、手が足りないと、どんなにちんちろまいしましてもその、行き届かない。
いうならば「猫の手でも借りたい」と言った様な時がございますでしょうが。そういう時にもう上がってしまってですね。ちんちろまいせんならん。と言う様な事のない、一寸を一つおかげを頂いとかなければ、信心を頂いておる値打ちがない。というふうにまあ思うんですけれども。なかなかその場になってみると、なかなか行きません。常日頃の信心不足を感じますですね。例えば今日なんかここは、大変なてんやわんやの事であろうとこう思うのです。
朝の御祈念、終わりますと引き続いて今日は、特別奉修委員の方達の、御祈念会が、もう引き続くように、今日は八次さん所の結婚式がここでございます。ただそれがまあ内々同士と言うならいいのですけれども、まあ結婚式ともなると、全然信心のない方達が沢山見えますから。今日はあのこんな狭い所に、先方のお嫁さんの方の側の御親戚だけでも、15名から見えるそうです、大体ここにはそんなにできませんですね。
半分をこう仕切りましてから、そこに、まあできるだけ厳粛な式をしたいと思うております。そんなにできんのですけれど、まあ向こうは期待しておられるのです。まあ結局二十何名かの方達の事になりますでしょう。それにもやっぱり、色々心を使うておかなければなりません。同時に今日は、もうほんとに同時にですよね。あの御造営のところの今日みなさん、お知らせの皆さんが集まってのお掃除。
その他の奉仕があることになっております。もう家内なんかは今日はいくら体があっても足りない。そしてその式の方にも招かれたりしとる。と言ったような事でですね。さぁ沢山見えりゃほんなら、お茶も沸かさんならんだろう。またお弁当なんか持って来てない人に、お弁当も作らんならんだろう。まあ思うと今日はそういうふうにまあてんやわんやする事であろうというような、そういう事を予想されるまあ一日なのです。
かと言うて、ほんなら、これは私がです、さああれもしとかんなんぞ、これもしとかんなんぞ、さあそれで現場へ行ったり、行ったり来たりしたからというて、さあ自分に、千手観音さんじゃございませんから、どうする事もできませんものね。私は、まさかの時と、突発的な起きた、事が起きるといったようなことだけではなくてですね。そういう例えば、てんやわんやしなければならないような事の場合でもです。
私はあの、ておざおせんで済むだけの信心が、日頃できておらなければならない。そして、私の手を下すよりも、私が命令するよりも、かえってスムーズに、かえって神ながらな、万事万端タイミングようお都合お繰り合わせの頂けれるのが信心だと、私は確信しております。例えばそれを、まあ如実にいつもそれを感ずる事は、御大祭の時です。はぁ私はその、ああこうと思うて、二階、あっちこっち、行ったり来たりしてから、手落ちのないように手落ちのないようにと言うて回ったところでですね。
私の手が動かなかったり、足が動かなかったりしたんじゃ駄目ですもんね。私の手になって下さり、足になって下さる人達が、方達がです、それこそ末梢神経にいたるまで、びりびりするくらいにこう動きが出来ておるだけの、いわば信心が私自身に出来ておらなければならないと思います。手はなえとる。足はちんば引きよると言ったようなことでは出来んのです。だから、いかにその、足ろうた信心と言うものが、日頃の信心と言うものが、出来ておらなければならんかということを感じます。
そこで、いわゆる、神様におすがりする他にないという事になるのでございますけれども。神様におすがりしておって心配をする。神様におすがりをしておってから、ておだおする。それでは神様の働きを阻害する。神様の働きの場を狭めてしまう事にもなりかねないのですから、この辺のところを一つ、よく分かっておられねばならんと思いますですね。皆さんも、そういうような事は体験される事でございましょうが。
お取次ぎを頂いてお願いして、もう本当に万事万端の上にお都合お繰り合わせを頂きました。そういう時でも、ほんなら、自分の心が、その心の方がてんやわんやしておって、もうほんとに心の神経が疲れるというような事のないおかげを頂きたい。私、今朝からその事を神様にお願いさしてもらいよりました。今日、いわば、てんやわんやする事であろうと。事にはどうぞ別に私が、手が何本もあるわけではなし。
足が何本もあるわけではないのですから、いや、あったって実は、人間のする事ですから、どこにお粗末ご無礼が、いわゆる不行き届きがあるやら分からんのでございますから、万事、神様によろしゅうお願いをする他にはない。そこでですたい、お願いをする、いわば、心持なんです。そう致しますと、神願に頂きます事が、何て言うんでしょうか。あの剣道なんかの試合の時に、正眼に構えると言うでしょう。
動かない、動きがない。それでいて、どっから打ち込まれても、それを「おう」とこう、受け答えられるだけの、この姿勢と言うか、態度と言うかね。そういう状態の所を頂くんです。これはもうてんで、その竹刀なら竹刀ばっかりこう脇で、ぐるぐる回しよったところでですよ、出来る訳ないでしょうが。かえって、隙を見てポンとやられるぐらいな事です。それよりも、いわば、正眼に構えたこの姿勢の中にです、どこからでも打ち込んで来いと。と言うだけのです、私は姿勢が大事だということです。
心の中に、いわゆる心配り、神様に対するところの心を向かわせて頂いて、静かに祈っておる以外にはないのだということ。心に隙を作らんようにしとく事だということです。そういう時に、ておざおしたんでは、かえってそれは試合をするのに、もうそのまあ、いきなり竹刀を振り回しておるような事になりかねないということ。そしてもう、竹刀をもうグルグルするごと、いわば振り回しよるもんじゃけん、身体も疲れる。そしてから、その隙だらけですから、ポカンポカンやられておる。
こういうのが大体は、普通じゃなかろうかと思います。そういう時にです、しっかり、日頃の信心の稽古をさして頂いて、いわゆる、日頃、いわば、しっかりその、剣道なら剣道の道を稽古さして頂いておけばです、いよいよ試合という時には、慌てんで済む。すると、受け身なら受け身で、それに立たれるところの度胸と言うか、姿勢と言うものが、自ずと備わってくる。そういうおかげを、教祖の神様が教えて下さっておりますように。常平生に信心の稽古をしっかりしておけと。
まさかの時には、驚いてはならんと。慌ててはならんという意味の事を教えておられますがです。突発的にやって来る、そういうような場合でも、もちろん、驚かんで済み。「生神金光大神」唱えたら心が落ちつくだけの、信心を常日頃頂いとかなければならんと同時に、その事はまた、もう分かっておる。何時の何時は、こういうような事が重なる。例えば、今日の椛目のように。
御祈念、そして御祈念会、それから結婚式。それから今日は、御造営の方の事と、そして夜は月次祭でもある。その準備も必要である。もう思うただけでも、今日はてんやわんやであろうと、こう思うのでございますけれどもです。そういう時に、そんなら自分に手が何本もあるわけではない。足が何本もあるわけじゃない。それこそ、この短い手で、どうすることも出来ない。
手が届かないのであると。と言うて放っておくわけにはいけない。どげんかなるっちゃ。貧すれば通ずると。なるごとなるだろうと。なることなりましょうけれども、なり様が悪い。貧すれば通ずると言うてもです、通じ具合が悪い。ほんとに神様のおかげちゃ、ちっとも有り難い事じゃある。なんてその勿体ない事であろうか。思いもかけない人が、思いもかけない事に、御用、その場その場で、おかげを頂いて下さって。万事万端タイミングの良い一日であったと。
あれだけの事が別に衝突する事もなく、互い違いになる事もなく、タイミング良うおかげお繰り合わせ頂けたというようなおかげを頂かせて貰わなければ、日頃信心して頂いておる値打ちがない。そういうおかげの頂ける為に、常日頃、信心の稽古をさして頂いて、そういうような場合に、てんやわんやしなければならないような時でもです。丁度、剣道の試合なら剣道の試合をする時にです、スッとこう正眼に構えて、そのどっからでも打ち込んで来いと、言えれるだけのです。
じっとしっとてもです、隙を作らんで済むだけの姿勢が取れれるだけの信心をしておきたい。また、そうして神様の、なるほど、「心配する心で信心せよ」と仰る。なるほどそうなんだ。心配する事はいらんのだ、神様にお任せ仕切って信心さして頂けば、こういうタイミング良う、こんなに素晴らしいおかげが頂けれるのだという体験をさして頂く。もうそういうおかげの頂けれる信心を身に付けておかなければならんと思いますですね。
どうぞ。